定有堂書店___... ジャーナル [ 交流雑誌 ]

■ アメリカの涯・僕の振出し

第２０回 飲んで暴れる

　N というアメリカ人の Neurologist（神経科医）が日本を訪れた際、福岡で開かれた学会に同行し、僕の生まれ故郷である長崎を案内する、ということをした。十五年ほども前のはなしである。

　このN 夫妻が大変な酒飲みであった。

　夫人はペルー人で、Nさんよりもかなり若く、なれそめはと聞くと二人とも二度目の結婚とのこと。彼女はかなりきついスペイン語訛りの英語でN さんが優秀な医師であるばかりではなく、素晴らしいシェフでありラヴァ―であるとのろけた。この「Wonderful Lover」というのはロマンチックなパートナーというより、性的な練達者であるという意味合いが強く、良家の奥様のご主人に対する賛辞として適当かは疑わしい。彼女は少し蓮っ葉だけど可愛い女性、という印象で、Nさんも彼女の言動をいつもにこにこしながら愛しそうに眺めていた。

　Nさんが、福岡での学会のキー・ノート・スピーチを終え、佐賀大の医学部での講演を済ませた後、大学が手配してくれた車で長崎に入った。

　その夜は、枇杷で有名な茂木港の生簀料理の老舗Fで食事をした。大きな笊に盛った生きた魚介類をまず客に見せ、好みの調理法を確認する、という趣向は欧米人にとっては残酷に映るかな、とやや危惧したがふたりは無邪気に喜んでくれた。南米文学のはなし、その旗手的な作家がペルーの大統領選に出馬していること、母の病がサイコソマチックであった可能性（この旅行はNさんの友人であり母の主治医であるT医大のS医師への恩返し、という遠回しな意図を含んでいた）、といった様なことを話しながら食事を終えると、Nさんにもう少しくだけた夜の長崎を見たい、とせがまれた。その旨タクシーの運転手に告げると、ややくだけ過ぎではないか、と思われる歓楽街に僕等を落とし、目についた十畳くらいの広さのホルモン焼屋に飛込んだ。夫妻はその雰囲気を大変喜び、店の女将や周囲の客も珍しさも手伝って歓待してくれた。

　ここら辺からはなしはやや創作めきますが、全て本当に起こったことです。と言ってもかなりミストのかかった記憶なのだが。

　僕の隣に座っていた水商売風の中年女性のひとり客に僕等がそこにいる理由を問われ、酔いもあって、父が上京前長崎の建設会社に勤務していたことにまで遡って説き起こしていると、何と彼女は父を知ってると言う。「ちょっとここで待っとってね」と彼女は言い残して興奮と共にどこかへ去り、数分の後、やはり同じ年恰好の女性と戻って来た。「こん人が古賀さんの息子さんげな」「んまぁ」などというやりとりがあり、「息子さん、うちの店に飲みに来んね」という連れて来られた女性の誘いに、この時点ではもうN夫妻にことの成行きを説明することもままならぬほど出来あがっていた僕は、有無も言わさず彼等を引立て、謎の中年女性その２が息子と経営するスナックへと雪崩込んだのである。ここからの記憶が断片的で、東京に戻った後も結局この女性達が誰であったのかも父に説明できず、痛くもない（ことはないかもしれない）腹を母に探られたりした父の不興を買ったりしたのだが…。

　この酒場で僕はそこにある限りのアメリカの音楽をジュークボックスで鳴らさせ、Nさんには「ゲットアップ　アンド　ダンス　マザーファッカー」などと喚き、奥さんにチークダンスを強要したりしたらしい。

　翌朝これらの蛮行の一部始終を、ホテルのダイニングでの朝食の席で、慙愧の塊と化している僕に可能な限り詳らかに思い出させようとしてくれている夫人にNさんは、昨夜のはなしはもう止めなさい、と救いの手を差し伸べてくれたうえで、自分はこれを飲んだら（彼は朝食の替りにウオッカマティーニで迎え酒していた！）部屋で寝ている、と宣言した。この日の予定は市内観光であったが、これへの不参加の意思表明だったのである。

　お定まりの観光ルートを消化しながら更にはなしを聞くと、昨夜はホテルに戻った後も、Nさんだけを部屋に送り届け、僕と彼女は最上階のバーでまた飲み直したのらしい。これも僕の記憶から欠落している。秘密にするという意図があったわけではないと思うが、ふたりだけで飲んだという事実をNさんのいないところで伝えられると、共犯意識のようなものが、朝食の席での彼女の当てこすりの様な発言に対して感じた僅かな不愉快さと綯交ぜになり、通常、なじんだ女性だけに対して持つ愛憎のような感情が即席で発生した。そのアンビバレントな感情は、グラバー亭の庭でひとり港を眺める彼女を二日酔の吐き気を堪えながらベンチで待つ僕に「そろそろ次に行くよ」と、膝をポンポンと叩きながらのぞんざいな言い方をさせたが、彼女も「わたしはあなたの女房じゃないのよ」と勝気に言い返した。

　「今夜は無礼講だ」という上司の言葉を額面通りに受け取って、二度と浮び上がれなくなった勤め人、というコント的状況を地で行くような飲み方を昨年末の忘年会でしてしまい、翌朝呆れた職場の女性に、あそこまで醜態を晒したことはあまりないでしょう、と問われ、数え切れないこんなはなしをつらつらと思い出していた。