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■ Heartlandから
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第八回 感謝祭
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ステイシーの言動に異変を感じたのは、一昨年の感謝祭のディナーに於いて、であった。と云っても、私が彼女と顔を合わせるのは、年に一回、この祭日だけなのだが。
昔から知的で快活な女性であったが、その日は過剰に社交的というか、妙に人馴れした感じでゲストの間を泳ぎ回っている。（「泳ぐ」、というか、稚魚が瞬間移動するハイパーな感じで）
彼女の次男、ダンが焼いたターキー（七面鳥）や、ゲストが持ち寄った料理とかデザートを食べ終わり、居間で寛いでいると、ステイシーが夫と住む、自律型高級老人ホームでのゴシップ（のようなもの）を語り始めた。男は早死にするので、ホームには女ばかり。時折、妻を失った寡夫が入居すると奪い合いになる、といった辺りでは、まだ家族や客達は苦笑していたが、夕食が終わるとあちこちでオージー（乱交）が始まり、惚けてるのが多いから、ドアも閉めずにおっ始めるのには困る、といった段では、飲み物を取りに行く振りをしてキッチンに逃げる者が出だした。彼女の三歳年上の夫は分かっているのか、いないのか、過去、常にそうであった様に、穏やかに妻を見つめ、微笑している。
ホームでの私に関する噂を聞きたい？ メールルームで、入居者の郵便受けに郵送物を配っている、大学の看護師養成課程に行っているバイトの黒人の男の子が、ミセス・ケリー、僕は大学院に合格しました、というから「グレート！！」、と彼をハグし、頰にキスしようとしたら、彼が顔を傾けたので、黒人の分厚い唇にキスしてしまったの。（彼女のみ爆笑）そしたら、エミリっていう九十いくつの死に損ないの婆さんがそれを見てて、私がニガーのboy toy 囲ってる、ってホーム中に言い触らしたの。（彼女だけ大爆笑）
逃げる機会を失い、まだそこにいた全員の顔が青褪めていた。ダンの父親、マーク・ケリーの顔だけに、永遠の微笑がこびり付いている。
ステイシーとマーク、そして学生来の親友ダンの名誉の為に言葉を添えると、ダンの両親は、裕福であるにも関わらず、リベラルなアメリカ的価値観の体現のような人達であった。
私の両親も貧しくはなかったが、離婚しており、当時、未成年の妹ふたり（上は十七、下は十五）は異なる養育者を選び、再婚した父母の下に離ればなれに住んでいて、大学が休みでも、そのどちらへも帰る気がしなかった、というのがひとつ。もうひとつは、大学はボストンの学校を選んだが、LA出身の私は、休みの度に、大陸横断・往復するのも億劫で、ロードアイランドにある実家への帰省に誘ってくれるダンの好意に甘えた。
ダンの物言い、立ち居振る舞いは、好ましく、それは自分と近しいからであって、LAでは異端であったから、自分の属性は東海岸的なんだ、と気付かせてくれ、生涯の友となった。
自分のものであっても家族など疎ましいだけなのに、友人の家族と、例え短い期間でも寝食を共にすることに、気乗りはしなかったが、心地良い気遣いの無さ、というか、私の存在が彼等の日常に何の影響も与えていないという事実が、私の平常をも保った。また、彼等の低文脈（知悉した者同士の省略のない）で、きちんと理知的に言語化された意思伝達は、他者を阻害しなかった。
他者、ということでは、ダンの年子の兄姉（二歳上の兄、スティーブと一歳上の姉、ジェイミー）も、誰かしら、私同様、帰省が容易ではない友人を伴って、それはアフリカやアジアからの留学生であったりしたが、休暇を過ごしていることが少なくなかった。ステイシーやマークには、こういった多様性に対しても、意識した包含（Inclusion）、というのは不在で、私同様、他の「他者」もリラックスしているのが見て取れた。
大学院は、私は英国に進み、そのままハーヴァードに残ったダンと疎遠になった時期もあったが、お互いに家族ができると、私達は、今度は彼等（互いの家族）を含めた付き合いを再開し、それは感謝祭は私達家族がロードアイランドへ、復活祭にはダン達が私の家族をニューヨークに訪ねることで定着した。
感謝祭のディナーは、当初はステイシーとマークの家で催されていたが、十年ほど前、彼等がホームへ入居してからは、ダンが取り仕切るようになった。（その役目が末子に引き継がれたのは、彼が素晴らしいシェフであったからに違いない）
その夜更け、ステイシーとマークを含めた、彼の家に泊めてもらっている私達家族以外の、全ての人々が去った後、私達はキッチンで、シングル・モルトを啜りながら、ジョイント（大麻煙草）を吸っていた。日頃から彼女の様子を観察しているダンは、当然、母親の様変わりには気付いていて、「過剰な性的関心や、欲求が、認知の症状として発現することは珍しくないらしい」と、だからって、何ができるんだ、という風に肩を竦めてみせた。
昨年の感謝祭へも、今年はステイシーが何を言い出すか、と戦々恐々としながら赴いたが、夏にマークが亡くなったこともあってか、始めはしょんぼり、と云っていいほど大人しくしていたダンの母親は、孫のリッチ（ダンの長男。ハーヴァードの一年生）がアジア系の友人を伴って帰宅し、彼が友人をゲスト達に紹介し始める様子を認めると、目に火が灯ったように生気を取り戻すのが見て取れた。
ダンと私は、お互いの家庭についても極めてオープンで, 子供のことでも、ダンは男の子ふたり、私の方は女の子ふたりで、年齢も近いが、お互いの長子が性的指向を模索している、というようなことも隠すことなく、共有していた。
リッチが、ジョーを私達家族に紹介しているとき、歩行器に凭れながら、一歩ずつ、ゆっくりと接近するステイシーに我々は気付き、その獲物を狙う老いた豹のような、鬼気迫る様子に、話しを中断して、彼女を注視していると、やがて見上げる鼻が、獲物の顎に触れるような位置まで到着すると、じっと彼の目に見入り、あんた、おかまなの、あんたみたいな子がおかまなんて、ほんと勿体ないね、と彼の頰をさすりながら云った。
そして、今年のターキー・デイ（感謝祭の別・蔑称）、ダンの家に着くと、いよいよ歩行が困難になり、ステイシーは来られないと聞いて、私は心底ほっとした。四十三年前、感謝祭を初めて彼女の家庭で過ごした際、十九歳の私は、二十五歳年上の彼女に誘われ、関係を持ち、それは休暇毎に大学を卒業する迄続いていたことを、彼女が客の前で話し始めるのは時間の問題のように思われたからである。
ダンの次男、ジェフがブラジル人のルームメイトを連れて来ていたが、気持ちに余裕が出来た私は、もしステイシーが居れば、今年はこの子が犠牲者だったんだろうな、と吹き出しかけたとき、ふと全てが腑に落ちた。「過剰な性的関心や、欲求が、認知の症状として発現」していたのではなく、私を誘惑した頃の年齢に戻ったのだ。ダンの兄姉が供給する、他のエキゾチックな「他者」達もステイシーのホスピタリティを享受したに違いない。
そうして、どうしたことか、またあの時代を繰り返す自分に、リベラルな家風が脈々と受け継がれる孫の世代も、途絶えることなく、私が愛して止まない、ぴちぴちとした多様性を供給し続けてくれている。
六十二歳の日系四世である私は、何も恐れる必要はなかったのである。
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| ★著者自注；Heartland というのは僕の住んでいる米国中西部の別称です。 （http://ja.wikipedia.org/wiki/ アメリカ合衆国中西部） |
| 小説 「フィラーとボイド」 |
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古賀 啓三
(こが けいぞう)
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高卒後画家を目指して渡米。大学院在学中、米人女性と結婚。３年半の教師生活の後、長女誕生。金と才能の欠乏を痛感し実業(?)に転向。現在デトロイトの日系企業に勤務。
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